現在勤めている外資系投資銀行に入社したのが2024年4月。
それまでは全くの異業種で自営業として働いていましたが、10年近くぶりに会社員に戻りました。
おまけに初の障がい者枠での入社です。
入社して半年以上が経過し、契約社員から正社員に登用されたこともあるので、未経験で外資系投資銀行にどのように就活をしたのか、そして入社から半年間をどう過ごしたのか、最後に今後のキャリアについて振り返ってみたいと思います。
ビズモアを創業するまでの数年間は会社を転々と…。
大学を卒業して入社したのが外資系の生命保険会社。
そこでは最初の半年間に経理部に配属されて、資金繰り管理や経費精算などの仕事をしていました。その後に全社のプロジェクトを統括する部門に異動となり、コストやスケジュール、リソースなどプロジェクトマネジメントをやっていました。
2年弱働いた後に、京大のMBAに進学。
経営戦略からファイナンス、会計、統計学、マーケティングなどを学習してきました。2年間のコースで2年目はゼミに加入することになっており、管理会計と企業分析のゼミに参加し、最後は英語で富士フイルムのフィルム事業からの復活について英語でレポートを作成したりしました。
その後に、大手通信会社の事業企画部に転職。
企業分析や新商品開発、通信プランに付帯するオプションの分析、伝送サービスのプライシングなどをやったりしました。とにかく会議が多い会社で就業時間後に仕事をする感じのスタイルだったので長時間労働が続いており、残業時間は100時間は軽く超えていたと思います。先輩社員と冗談抜きに22時に帰れる時に早いねとか言ってました…。
長時間労働と上司のパワハラもあり、うつ病で1ヶ月間の休職。
当時の診断書を見ると、休職期間は3ヶ月とあり、だいぶ重かった模様。それをなぜ1ヶ月で復帰したのはサッパリです。
休職から復帰も仕事に馴染めずに大手リテールの金融機関の経理部に転職。
個別決算や海外子会社の経理対応、IFRSのプロジェクトマネジメントなどをやっていました。
この会社は特に大きな問題があったわけではないんですが、働いてみるとやっぱり何か違うな…と思い、1年で退職。
当時を振り返ってみると、退職しようと思ったらすぐに上司に退職願を提出したり、大学院に進学したり、転職活動してみたり、ADHDの衝動性をフルに発揮していましたね。また、いつも仕事中に眠くて集中できずにいましたが、もし現在服用しているコンサータを飲んでいれば…状況は変わっていたと思います。
また、仕事はずっとプロジェクトマネジメントに関わることをやっていました。経理だったり企画だったりした時もありますが、どちらもプロジェクト管理が主な仕事でした。プロジェクトは複数のタスクを同時並行で進むので、マルチタスクが苦手なADHD・ASDにとってかなり向いていない仕事だったと思います。とは言え、ケアレスミスが多いADHDの自分にとって経理部も向いているとは思えない仕事でしたし、今働く人事部はベストなのかなと感じます。
アフィリエイトでビズモアを創業
(甲状腺癌の手術当日の朝。病院のラウンジからの東京タワー)
もう会社員として働きたくないと思ったので、退職してから何をやろうか考えていたところ、大学院の時にやっていたブログから数年経ってもアフィリエイト収入があることに気づき、トライすることにしました。
当時のアフィリエイトはかなりのブームで月100万円稼げるみたいな世界。2、3年前のユーチューバーみたいな感じです。簡単に数十万円は稼げるかなと思ったものの、そう簡単にはいかずにズルズルと1年が経過。
資金が底をつき、そろそろ転職活動か…と思った時に、通信ジャンルで売上が上がり始めて月2、30万円を上げることができました。
その後に、脱毛ジャンルにトライしたところ、すぐに売上が100万円を突破。売上のほとんどが脱毛を占めるようになり、ピーク時にはアフィリエイト報酬が200万円を超えている時もありました。
その間に6年半住んでいた浦安から麻布十番に引っ越しをし、麻布ライフを楽しめると思った矢先、喉に違和感があり近くの大学病院に行ったところ、甲状腺癌が発覚。ステージ1で受診から2ヶ月後くらいに全身麻酔で手術しました。甲状腺癌は癌の中でも大人しいと言われており、ステージ2でも5年生存率が100%と謳っているところもあるほど。もう5年以上経過しており毎年検査をしていますが、転移などはありません。この時に加入していた終身保険で2500万円の大金をゲットした上、ベッドにいても毎日10万円以上の売上がある状態が続き、節税のために株式会社ビズモアを設立しました。
それからPythonやRubyなどのプログラミングの勉強をしたり、英語学習をしたりして、30代前半でサイトFIREライフを送っていました。ただ、コロナ禍をきっかけにアフィリエイト報酬は激減し、今ではピーク時の99.9%くらいの勢いで下がっています。結婚してからも毎日スタバに通い続け、英語やプログラミングの勉強をなんとなく続けていました。
話は前後しますが、2020年のコロナ禍に妻の勧めでメンタルクリニックを受診し検査をしたところ、ADHDとASDと判明。その半年後に精神障害者保健福祉手帳3級を取得。取得しても森美術館や都営地下鉄・バスを無料で利用していたものの、障害年金を貰っていたわけではないので大きな恩恵は受けていなかった印象です。
障がい者枠で転職活動し外資系投資銀行の内定をゲット
(スタバには年間330日以上通って時々、リザーブコーヒーを飲んだり)
売上は激減したものの、コロナ禍で3000万円で株式投資をやってみたり、アフィリエイトでの貯金もあるのでサイドFIREを続けようか迷ったり、行政書士を取得して開業しようと考えたりしました。その中で転職も選択肢にあり、就職偏差値がめっちゃ高い企業に就活してみてダメだったら自営をやろうと考えて転職活動を考えました。
年齢も30代後半となり世間的にはマネージャーのポジションで働いている人も多いはず。10年近く会社員から離れていた自分がいきなり管理職のポジションに就くのは難しいと考えたのと、再び会社員として働いても以前と同様の悩みで早期退職をしてしまうと考えました。
そこで、合理的配慮が得られる障がい者枠での転職活動を決意。
精神障害者や発達障害者の平均給与は月12.5万円とかなり安いものの、一部のIT企業などでは年収500万円程度貰えるところもあると知り、悠々自適に副業をやりながら生活すれば良いかなと思っていました。
でも、一度きりの人生、最後の転職活動になるかもしれないと思い、大学院の時から憧れの外資系投資銀行を中心に転職活動することにしました。どこの投資銀行も求人票には給与の目安すら公開されていないのでどの程度貰えるのか知らず、ブランドだけでの就活スタートとなりました。
ほとんどの外資系投資銀行が通年で障がい者枠を募集しており、一斉にエントリー。すると、時期はだいぶズレはあるものの、全ての投資銀行から書類選考を通過でき、面接の案内がありました。
その中でも一番レスポンスが早かったのが勤務先です。今でのは内側にいるので人材獲得競争があるのでスピードを大事にしているので、納得です。2回の英語面接を含む数回のインタビューを経て、2月末に内定を得ました。内定までに3ヶ月以上もかかり大変でした…。その後もバックグラウンドチェックという経歴や過去の仕事ぶりの審査が1ヶ月近くもかかり、結局入社日は4月後半。
勤務先が決定した後も、別の投資銀行から連絡が度々来ており、まさか辞退する展開になるとは思いもよりませんでした。
投資銀行以外にも、大手のIT企業や化学メーカー、外資系コンサル、再保険会社、Amazonなど内定を貰えたか、最終面接まで進めたのかのどちらかです。一般枠は1社だけ面接を受けましたが、やっぱりマネージャーレベルの仕事を求めていると感じて辞退。決して、マネージャーの仕事ができないわけではないと思っていますが、組織の中では多少リハビリが必要かなと言っておきます。
ちなみに、勤務先の給与は希望年収よりも大幅に上回っており、毎月ボーナスを貰っている感覚です。入社してから半年後に正社員になる時には年収が100万円以上もアップし、障がい者枠でも給料で差別されることはないと実感しました。
福利厚生に関しても結構充実しています。有給休暇は結構付与されますし、Sick Leaveもあります。その他、自分に関係ある休暇としてPaternity Leaveや結婚休暇などもあります。残念ながら住宅手当はありませんが、借り上げ社宅制度はあるので給与の高いバンカーにとって大きな節税となるはずです。がん保険にも従業員は無料で加入でき、既に個人で終身保険でカバーできているものの、より一層充実することができます。確か、給与補償保険なるものもあったはずです。
外資系投資銀行では楽しく仕事ができている
投資銀行に入社して半年以上が経過。
入社して5ヵ月目のタイミングで正社員登用の話があり、半年経った時点で無事に正社員になることができました。
正社員登用については求人票にも載っているわけでもなく、社内のイントラにも情報があるわけでもなく、過去に正社員になった人がいるという情報しか知りませんでした。正社員になるのも1年くらいは時間がかかるのかなと思っていたんですが、アピールした結果?半年でなれたのはビックリ。これも多少なりともパフォーマンスを残せたのと、安定して働き続けられると証明できたからなのかなと思います。
勤務先では人事部のジェネラリストというチームで労働時間管理や障がい者採用の雇用・採用、レポート作成などに関わっています。前任者が労働時間管理をメインにやっていたことから自分の大きなミッションは労働時間管理という仕事です。投資銀行は時間外労働が多い業界ですし、特に若手バンカーは顕著です。しかし、原則として月に45時間、例外として月に80時間までしか働けないので、そのルールに則るように従業員の労働時間をチェックし、フォローアップしています。最近だと、外国人の人事部長から直接依頼される仕事も多くなりました。
障がい者として初めての勤務ですが、それも気にしすぎだったようです。様々な配慮を受けながら仕事をしていますが、障がい者として扱われていると感じたことはありません。頂いている合理的配慮として、業務内容のマニュアル化、メンター制度、メンターや人事部長との定期的な面談、業務量の調整、イヤホンの着用などがあります。
選考時に合理的配慮として仕事の指示やメモやメールで欲しいことと、定期的な面談を希望していたものの、それ以上に配慮してもらっています。この中でもメンターとの定期的な面談にはホント救われています。仕事の話もしますし、組織の話、人間関係など様々な話の相談に乗ってもらっています。また、仕事のボリュームの調整もありがたく思っています。
障がい者枠で働く当事者として、障がい者に合わせた合理的配慮は本当に必要だと感じています。選考時に不利になるのではないかという理由で配慮を抑えている候補者もいると思います。障がい者が働きやすいように合理的配慮をカスタマイズしていくべきだと思っています。特に、精神障害者の1年後の定着率は50%を切っており、半分以上が離職する現実があります。理由として「仕事が合わない」や「人間関係」、「給料などの待遇面」など様々あるものの、合理的配慮で早期離職を防げることも可能だと考えています。
労働時間管理の仕事もそうですが、障がい者採用・雇用管理の仕事にもやりがいを持っています。障がい者の自分がまさかこのような仕事をすると思ってもいませんでしたが、他の企業でも同様のケースは多いみたいです。この仕事を通じて、採用側の事情も知ることができました。どのような候補者であれば選考を通過しやすいなどの情報は他の会社でも当てはまるはずです。この仕事がきっかけで、障がい者採用支援サービスをやろうと考えました。
振り返れば、新卒で入社した外資系生命保険会社の時から障がい者の方と触れ合う機会が多かったように思います。会社近くの聾学校にずっと寄付を行っていましたし、チャリティイベントに参加したりしていました。当時の勤務先企業は障がい者雇用の活動支援の奨励賞である「ディサビリティ・マターズ」という賞を受け取っており、当時から障がい者に何かしら関わりがあったように思います。
今後のキャリアについて
正社員に登用されたとは言え、まだまだポジションには上があり、昇格していくには担当する仕事を増やしていくなどの実績が必要になります。あるプロジェクトに関して自分がPMのように関わっているものがあり、それを成功させていきたいです。プロジェクトには散々関わってきましたが、プロジェクトの素案から作るのは初めての経験で難しい面もあるものの、頑張ってみたいです。
同時に、株式会社ビズモアの障害者採用支援や労働時間管理支援、ハイキャリア転職相談などの仕事にも力を入れていきたいです。このビジネスを立ち上げるにあたって、決済システムや提案書の作成、ホームページの改修など時間がかかることは既にやったので、あとはクライアントからの依頼を待つだけです。本業は定時で帰れるので、その後に仕事をするか、土日にスタバで作業をする形で回していければと思っています。
英語の勉強もマストです。ここ最近、英語学習をサボってしまっているので再び頑張らなきゃいけないです。外国人上司とは意外に英語でコミュニケーションを取ることができているので直接指示をされていても仕事ができるようになりました。ただ、オンラインセミナーなど英語の会議はほとんど理解できないので、リスニングとスピーキングを強化していきたいです。
この他にも、ITストラテジストやプロジェクトマネージャーなどの情報資格にも興味を持っています。ITストラテジストは情報資格の中でも最も難しいとされる試験ですが、MBAの知識を活かすことができる上に、システムの理解は人事で働いても必須だと思っています。むしろ、今の人事部メンバーとの差別化できるとしたらITやシステムに強いかどうかなどかなと思っています。優先順位は英語ですが、余裕があればトライしてみたいところです。
まとめ
まさか30代後半になって未経験で外資系投資銀行で働いているとは思いもよりませんでした。入社前まではハードなイメージが強く、入社するの間違えたかも…とギリギリまで思っていました。でも実際働いてみると、人生初のやりがいを持って仕事ができていますし、副業も良い感じで進んでいます。
特に、障がい者採用・雇用管理には自分にしかできない仕事もあると思っています。障がい者として働いている経験は個人にも法人にも寄り添うことができると考えています。自分のように突然、障がい者枠のポテンシャルを持った人に障がい者枠での転職活動の方法や働き方を発信していきたいですし、企業側には障がい者が実現できる会社貢献の大きさについて知ってもらいたいと思います。そのためにも、このサイトやSNSなどで情報発信をしつつ、カウンセリングやコンサルティングで直接サポートして頂くのが大事だと考えています。